ココロ:×:ほすぴたる

+貴方の心に言葉のお薬処方します+

【カルテ4】何が悪かなんて

 

閲覧いただきありがとうございます🙏🏻

今回こちらは私の考えをまとめるメモのようなものになります😌

 

一個人の考えとして、ご興味がある方は閲覧ください☺

 

 

 

 

 

 

 

ネットの記事や、実際の人間関係でもあって思うことがあるんです。

 

『悪い行い』や『良い行い』はもちろんありますけどその『行い』には人それぞれ目的や理由などがあって行動として起こる出来事です。

 

良い行いをする人は『いい人』とみられたいという目的で善良な行いをすることはもちろん一つの理由としてはあるでしょうが…

 

悪い行いをする人は、『悪い人』とみられたくて悪い行いをするのでしょうか。

きっと、そのような方は極々少数だと思います。

 

そうだったとしてもそうなりたい真意やその思想に至った経緯に何が別の目的があるはずです。

 

 

本当は、助けて欲しくて悪い行動をする人も沢山いるんだと思います。

 

気づいて欲しくて、自分という存在を見て欲しくて、一般的に悪いと言われるようなことを人に物にやってしまう方も多いのではないでしょうか。

 

「あの人がああしたから悪い」「この人があんなことをやった」

被害者はいつだって加害者に対して許してやろうという気で話しかけることは理由がなければ無いでしょう。

 

被害者側が加害者側の何を考える義理はないかもしれませんが必要がある時もあるかもしれません。

 

もし、何か相手が自分に嫌なことをしたとして初めは怒りに我を支配されそうになりますが何日も経てば考えるはずです。

 

「どうしてそんなことをしたんだろう?」

 

悪い事は悪い事。だけど、根本であるそれを行なった原因がわかり解決しなければ繰り返されるだけです。

 

何か辛いことがあったのかもしれません。何かそうせざるえない理由があったのかもしれません。

 

もし、許せなくて相手を傷つけたくなってしまっても怒りはいい結果をもたらしません。

 

その心を沈めて、ちゃんと話し向き合い今後のことを考えるべきだと私は思います。

 

「ああした」「こうした」と過去のことを擦り付け合うより。

「こうしていこう」「ああしてみよう」と今、よりよい未来につながるため話し合うことの方がよっぽど有意義だと私は思います。

 

 

怒ることは悪いことではありません。許せないと思う気持ちも悪くありません。人間であれば当然の心理です。

 

その気持ちを正しく、コントロールし今後に活かし、なにかを傷つけることなくストレスを逃す。

 

容易なことではないですが、それができる方は本当に立派な人間だと思います。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございました🙏🏻

この文が何かの役に立てれば幸いです。

 

今回はここまでとさせていただきます。

よろしければ、また次回お会いしましょう☺